東海愛知新聞バックナンバー
 7月20日【日】
岡崎空襲から63年
冥福祈る 追悼式や慰霊祭

昭和20(1945)年7月20日未明の岡崎空襲から63年―。19日、市民会館で戦没者及び戦災死者追悼式、康生通西3の松坂屋岡崎店クレオビル北東角の慰霊碑前では市民団体の「岡崎空襲の慰霊碑をまもる会」による市民慰霊祭が開かれ、戦災死者の冥福を祈るとともに、平和への願いを新たにした。

戦没者及び戦災死者追悼式には遺族約1,400人や来賓約100人が参列。参列者は追悼標にまつられた霊に黙とうを捧げた。

式辞で柴田紘一市長は「当時を知る世代が減っていく昨今だが、数多くの市民が戦災で亡くなったことは引き継いでいかなければならない事実」とし、「市民主導型市政の確立などの将来に向けた歩みも、犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない」と述べた。

慰霊の言葉では、市遺族連合会長の上原久さんが空襲警報やB29が落とした焼夷弾の恐ろしさを思い起こし、「犠牲となった多くの英霊が鎮まることを祈っています」と述べた。

この後、遺族連合会役員や各学区遺族会代表、参列者が追悼標の前に置かれた献花台に1本ずつ花を供えた。

市によると戦争の犠牲となった市内出身の軍人、軍属、準軍属の死者、内外地の一般戦災死者は3,619柱で、このうち岡崎空襲による死者は207柱。

真実を伝えよう
慰霊碑まもる会

岡崎空襲の慰霊碑をまもる会の市民慰霊祭には、約40人が参加。香村克己会長代理が「2度と惨事を起こしてはいけない。このほど『岡崎空襲体験記第3集』を発刊したが、戦争体験を伝える貴重な遺産です。次の世代に真実を伝えたい」とあいさつ。

続いて同市稲熊町の服部春男さん(75)が、空襲体験を語った。当時、中町に住んでいた服部さんは両親、姉、兄と一緒に防空壕に避難。家を焼失し、その後1週間ほど、近くの千祥寺の本堂で避難生活を送ったという。

服部さんは「戦争体験者はしだいに少なくなり、高齢化も進んでいる。悲惨な戦争体験を忘れてはいけない。語り継ぐことが必要です」と訴えた。

このあと、参加者一人ひとりが慰霊碑に献花した。

8月3日「語る会」

岡崎市民会館リハーサル棟で、8月3日午後1時30分から「第19回戦争体験を語る会」が開かれる。岡崎空襲を記録する会など市民団体で組織する同実行委員会が主催。

ビデオ「炎の証言・最後の空襲」を見たあと、水越猛さんが「30分で羽根小が燃えた、戸崎町での空襲」、大沼和さんが「座布団1枚で、東康生での空襲体験」、佐野嘉十さんが「名古屋、東京、岡崎での空襲体験」と題して当時の様子を語る。

入場は自由。





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