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東海愛知新聞

彫刻ひと筋

修業5カ月半の大嶋さん  
 定めた道は三河仏壇   師匠は石川光昭さん

岡崎市藪田2の三河仏壇の彫刻師、石川光昭さん(53)の下で、名古屋市守山区在住の大嶋美弓さん(28)が彫刻の技術を学んでいる。目標は伝統工芸士かと思いきや「彫刻刀を握り続けたいだけ。工芸士でなくても彫刻はできますから」。この答えを見出すまでの道のりは、あこがれた伝統工芸職人の群像を追う日々だった。

会社員だった大嶋さんが、石川さんに出会ったのは3年前。体験型の職人展が開かれていた豊田市の足助屋敷だった。参加していた石川さんの技を目の前で見て、実際に彫刻刀を握らせてもらった。この体験は伝統工芸の奥の深さや楽しさを実感する機会となった。
 彫刻に魅せられた大嶋さんは「工房で開く木彫り教室に来ないか」という石川さんの誘いに二つ返事。翌週、さっそく工房を訪ねた。石川さんは「本当に来てくれた」と振り返る。

教室は月2回。それでは満足できない大嶋さんは、次第に石川さんの「彫り口の鮮やかな」技術の指導を望むように。許しをもらい、毎週のように工房へ足を運んだ。
 彫刻師の道を歩みだしたかに思えた大嶋さんだが、日増しに強くなる伝統工芸士へのあこがれは、京都にある専門学校への進学を決意させた。「知識が先行し、指導を受け入れられなくなる」と反対する石川さんを押し切り、平成16年4四月に入学。勤めていた会社にも辞表を出した。

ところが、入学後に待っていたのは職人の育成ではなく、伝統工芸を金儲もうけとしか見ない学校の方針だったという。「彫刻刀の手入れなどから教わると勝手に思っていたんです。でも、いきなり『作品をつくれ』。入学金や授業料目当てに、とりあえず入学させようという意図に思えたし、それを疑う学生もごくわずか。失望しただけでした」

大嶋さんは1年で学校を辞めた。偶然にも、入学を反対した石川さんの下にはかつて、大嶋さんと同じ学校を卒業した女性が弟子入りを志願してきたという。
 「その女性の作品は良い出来だった。だが、通常2週間で仕上げるところを半年かけたという。学校を出れば彫刻師になれるわけじゃない」(石川さん)。女性はその後、職人とは縁のない道に進んだ。
 学校を辞めた大嶋さんは名古屋市内でさまざまな職人を訪ね、弟子入り先を探した。だが「話を聞くたびに『頑張れば何とかなる』という自分の考えの甘さを痛感しました」

伝統工芸士にこだわっていたが、訪ねた職人の口から出てきた言葉は「彫刻を続けられればいいじゃないのかな」。工芸士になりたいのか、彫刻師になりたいのか。一直線だった熱意に迷いが生まれた。
 そんな迷いを打ち明けようと相談に訪れたのは、ほかならぬ石川さん。熱意の行き先を見失いかけた大嶋さんに、石川さんは「ちゃんと通ってみるか」。昨年12月1日。大嶋さんは正式に石川さんの弟子となった。それから5カ月半―。

現在の大嶋さんを、石川さんは「彼女を支える『何が何でもやりたい』という気持ちが才能であり、素質」と評価する。
 修業に練習はない。彫れば商品。ノミ叩きはまだだが、石川さんから作品の仕上げをまかされることも、たびたびある。「仕事から勉強をするのだから」(石川さん)、練習のための練習などない―が教えだ。
 「彫るほどに大きくなる造形が好き」と大嶋さん。資格ではなく、技術を受け継ぐ。熱意ゆえに生まれた迷いから、進むべき道を見つけた。

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