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東海愛知新聞

西三河にも大きな爪痕

きょう 伊勢湾台風から60年

東海地方に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風からきょう26日で丸60年。名古屋市や三重県での被害が注目されがちだが、岡崎、西尾両市や幸田町といった西三河地域でも多くの犠牲が出ていた。()

岡崎市の最新の地域防災計画の資料によると、伊勢湾台風での死者は33人、負傷者245人、全壊1139戸、半壊2503戸、床上浸水5戸、床下浸水212戸。午後9時ごろには風速34メートルを記録、内陸の岡崎にとっては「風台風」だった。

大樹寺の堤義隆さん(79)は「記憶の中で最も強い風だった」と振り返る。自宅が全壊する瞬間を避難先の小屋で目の当たりにした。「昼間は静かだった」と言うが、夜は一変。翌朝には矢作川の増水により堤防決壊の恐れがあったことから、大樹寺小学校に避難した。帰り際には電柱が横たわって倒れている状況を見た。矢作川の堤防は決壊しなかったが、支流の青木川は「堤防で手が洗える」ほど破堤寸前だったという。自宅は鉄筋コンクリート造りに建て直された。

旧幡豆郡3町(一色、吉良、幡豆町)を含む西尾市では三河湾に面した部分で高潮の影響を受けた。市史によると、死者35人、重軽傷者1528人、全壊1911戸、半壊6729戸、床上浸水797戸、床下浸水1081戸。最大瞬間風速は45メートルだった。

旧西尾市でわずかに三河湾と接していた地域(南奥田新田や奥田新田、小栗新田、平坂など)では高潮により海岸堤防が決壊し、ほぼ全域が浸水した。南奥田新田の農家の女性は「亡くなった義父からは、3カ月近く海に漬かったような状態で、家の窓から魚釣りができたという話をよく聞いた。寝ていたら布団が浮いてきたとも言っていた」と話す。名古屋市内に比べて復興が遅かったことが精神的なダメージにもつながったようだ。市内では伊勢湾台風後、高さ5.8メートルの海岸堤防の整備が進んだ。

幸田町は死者3人、重傷者5人、全壊97戸、半壊507戸だった。

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