東海愛知新聞バックナンバー

 7月8日【水】

語り継いでほしい惨劇

六名小 卒業生が空襲体験談
戦後70年に風化を懸念

岡崎市六名小学校で7日、岡崎空襲を体験した卒業生から体験談を聴く授業が行われた。今年は終戦から70年の節目。戦争体験者が年々減っていることを憂慮した卒業生4人が「空襲の様子や戦争について語り継いでもらいたい」と企画した。総合的な学習で地域について調べている6年生計100人は真剣な表情で話を聞いた。(横田沙貴)

来校したのは、今年83歳になる天野正彦さん、足立進さん、志賀修さん、浅井吉晴さん。4人は六名国民学校時代の同級生で、13歳の時に岡崎空襲に遭った。

4人は3クラスでそれぞれ日本周辺の地図や写真、焼夷弾の模型などを使い、戦中の様子や戦況の変化などを紹介。その後、岡崎空襲時の様子を語った。

岡崎空襲は昭和20(1945)年7月20日未明。天野さんは当時就寝中で、父親に「空襲だ!」と起こされた。「玄関を開けると電車通りが燃えていた。(焼夷弾の落下が)頭の上から火の粉が落ちてくるようだった」と振り返った。

その後防空壕への避難は無理だと判断し、天野さん一家は爆撃が終わるまで自宅で過ごした。「妊娠9カ月の母と妹、弟2人を押し入れに押し込み、私と父は家が燃えたときにすぐ消火できるよう、部屋の中にいた。空襲後、自宅から東に10メートルほど先の田んぼに不発弾が落ちていた。爆発していたら死んでいただろう」と話した。

最後に「この当時は戦争が終わっていなかったら20歳まで生きていられなかったと思っていた。今は自由で平和な時代だが、70年前には六名学区でもこんな悲惨なことがあったのだと覚えていてほしい」と締めくくった。

1組の田母神涼真君は「空襲でたくさんの人が亡くなっているのを聞いてびっくりした。昔は食べ物も少なく(つら)い生活をしていたという話を聞いたので、今まで残していた嫌いな食べ物も残さず食べようと思った」と話した。