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東海愛知新聞

4月10日・家康行列

「家康隊」に地域が名乗り

初のケースに“武者ぶるい”
六ツ美西部学区 社教主導で45人編成

やあやあ我らこそは家康隊なり―。岡崎桜まつりのメーンイベント「家康行列」(4月10日)に同市六ツ美西部学区の人たちが名乗りを挙げた。徳川家康や榊原康政役などは20日の公開選考会で正式に決まるが、“家康隊”に応募しているのは同学区だけ。決まれば地域が主体の家康隊は初めて。住民団体「一筆啓上・作左の会」から参加の声が出て1年、晴れの舞台を前に学区の人たちは“武者ぶるい”だ。
 「選考会で決まるまでは安心できないですよ」と、学区社会教育委員会委員長で「作左の会」会長でもある永田正男さん(72)=法性寺町荒子。応行列に「作左」を加えてもらえないかと折衝した募の代表者、チームの責任者で家康役だ。「馬には一度も乗ったことがないけどね」

■当初は「作左」
 家康行列参加を決定したのは、昨年4月29日に開いた平成16年度の「作左の会」総会だった。学区内宮地町生まれの郷土の偉人、本多作左衛門の隊列を組んで―。
 本多作左衛門(1529〜1596)は家康の家臣で、勇猛な武将。天正3(1575)年、長篠の合戦の折、陣中から妻にあてた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」という簡潔明瞭な手紙が有名だ。
 総会後、永田さんは市観光課で「作左」決定の経緯・意義などを話し、が、結局かなわなかった。

PTAなどに呼びかけ

■家康に方向転換
 「作左の会」の役員会で話し合い、ならば「家康で」と方向転換。兜かぶとの緒を締め直したものの、高齢者が多い会員は「行列の道中は長いで、ようもたん」と尻ごみ。伊賀八幡宮から乙川河川敷までの約3.5キロを歩き通せない、というのだ。
 ここまで来たからには撤退はできない。六ツ美西部小学校児童の保護者や同校の先生、子ども会、社教委員などに呼びかけた。すると、我もわれも。同校からは坂本英二教頭(56)ら11人が手を挙げた。45人のチームができ上がり、2月下旬、名簿を作って申し込んだ。年齢は30代から50代までが中心だ。
 永田さんは山岡荘八の長編小説『徳川家康』を読破。「苦労して辛抱強く時を待つ家康の生き方が好きです」と話し、坂本教頭は「開校して8年、地域の方々と一体になって歩んできた学校です。感謝の意を込めて行列に協力します」。

■地域融和に一役
 行列参加者が公募制になった昭和56(1981)年以後、家康ら先頭に立つ武将は数十人の隊列の要員を集めなければならず、企業や農協などのトップが多かった。今回のように地域住民が主体となるのは新しいケース。
 当日は、同小の児童や学区の人たちが沿道に詰めかける予定で、地域の融和に一役も二役も買うことになりそうだ。
一筆啓上・作左の会》 平成11年12月26日に発足。「12月26日」は奇しくも家康の生誕日と同じ。本多作左衛門に思いを馳はせながら、町おこし・地域発展に寄与することなどを目的にしている。会員は企業12社、個人121人。16年度予算は約60万円。
 作左衛門の長男仙千代が福井・丸岡城主になったことや、作左衛門が晩年、下総国相馬郡井野に移り住んだ縁から、福井県丸岡町や茨城県取手市の関係者と交流。会報発行や「ふるさと読本」用の資料を収集し、「作左の館」建設を目指している。

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