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東海愛知新聞

岡崎市長にプロ入団を報告

三菱自動車岡崎野球部 竹原直隆選手と齋藤俊雄選手
  竹原選手 期待に応えたい 
  齋藤選手 レギュラー目指す

今月17日のドラフト会議でプロ球団から指名を受けた三菱自動車岡崎野球部の竹原直隆外野手(24)、と齋藤俊雄捕手(20)、が26日、岡崎市役所を訪れ、柴田紘一市長にプロへの入団を報告した。
 竹原外野手は千葉ロッテマリーンズから4巡目で指名を受け、契約金8000万円、年俸1300万円(推定)で18日に契約を交わした。今年のドラフトの契約第1号。年内は同部に所属し、新春からロッテの練習に参加する。また、齋藤捕手は横浜ベイスターズから10巡目で指名を受け、27日に契約の予定。
 柴田紘一市長は「おめでとうございます。みなさんよかったですね。社会人野球ではいい試合をいくつもされて三菱自動車岡崎の名声を博してくれました。これからの活躍を期待しています」と激励。
 即戦力として評価されている竹原外野手は「期待に応えられるようがんばりたい。同世代の木佐貫選手や和田選手には打ち勝ちたい」とあいさつ。齋藤捕手は「自分の力をキャンプから出してレギュラーを目指したい」と抱負を語っていた。

■60年ぶり級友と再会
   岡崎小学校を昭和20年卒業

岡崎市岡崎小学校を昭和20(1945)年3月に卒業した人たちでつくる「岡小20年会」の同年会がこのほど、蒲郡市で開かれ、同校の卒業生で戦後韓国に帰国していた張斗柄さんが60年ぶりに級友と再会した。
 張さんは岡崎生まれ。父親は、森永製菓岡崎工場で働いていた。
 戦争が終わった後、父親の意向で一家は韓国の蔚山(ウルサン)に移り住んだ。
 18歳のときソウルに出た張さんは、陸軍の兵士募集の広告を見て応募。そのまま定年まで勤務した。
 同25(1950)年に始まった朝鮮戦争では、韓国側の生命線といわれた多富洞(タブドン)の戦いで手りゅう弾の破片を右目に受け失明。こうした戦歴で現在は、多富洞戦闘救国勇士会の理事を務めている。
 韓国に帰ってから、片時も忘れたことのない岡崎の町や友だち。張さんは平成12年10月、仲の良かった本多修一さんに電話で連絡、56年ぶりに岡崎の地を踏んだ。このときは、他の級友に会うことなく帰国。今回、60年ぶりの同年会に出席するために来岡した。
 待ち合わせ場所のJR岡崎駅西口に、級友の高木武春さんと現れた張さんは、先に来ていた人たちの名前を呼びながら固い握手。60年ぶりの再会に笑顔いっぱいだった。
 張さんは「岡崎を離れる汽車が矢作川の鉄橋を渡るとき、悲しくて涙が滝のように流れ落ちた。韓国に行ってから一日として岡崎のことを忘れたことはない。友だちに会えてこんなうれしいことはない」と顔を紅潮させていた。
 「20年会」のひとり鳥山満さんは「体の大きいおとなしい子だった」と当時をしのんでいた。
  岡崎滞在中、同行した高木さんは「当時のことを実によく記憶している。町が変わってしまって寂しいと言っていた」と気づかっていた。

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